現象の主役は自分ではない

僕たちは何かを上達しようとするとき、

「どうすれば上手くできるか」

を考える。

もっと力を出そう。

もっと速く動こう。

もっと正しいフォームを身につけよう。

もちろん、それらは大切だと思う。

しかし最近、身体を探究していて別の感覚が見えてきた。

それは、

現象の主役は自分ではない

ということだ。


ゴルフクラブを振るとき。

以前は「自分がクラブを振る」と考えていた。

しかしある日、

「クラブの動きを邪魔しないようにしよう」

と思って振ってみた。

すると不思議なことに、力を入れようとしたときよりも自然に振れた。

脱力も生まれた。

飛距離も出た。


抜刀でも同じだった。

刀を振るのではなく、

刀が動くことを邪魔しない。

鞘から抜けることを邪魔しない。

そう考えると動きが変わる。


合気の稽古でも似たことを感じる。

相手を崩そうとすると崩れない。

技をかけようとすると技がかからない。

しかし相手との関係を邪魔しないようにすると、何かが起きる。


ここで面白いのは、

「何が起きているのか」はまだよく分からないことだ。

反力なのかもしれない。

神経の反応なのかもしれない。

感覚のズレなのかもしれない。

それは今も探究中だ。

でも一つだけ分かることがある。

それは、

上手くいかないときほど、自分が主役になっている。

ということだ。


もっと飛ばしたい。

もっと崩したい。

もっと上手くなりたい。

もっと結果が欲しい。

その「もっと」が大きくなるほど、自分は現象の前に立ち始める。

そして気付かないうちに邪魔になる。


だから最近は、

「どうすればできるか」

よりも、

「何を邪魔しているのか」

を考えるようになった。


肩に力が入っていないか。

結果を急いでいないか。

相手を操作しようとしていないか。

自分の考えに固執していないか。


探究が進むほど、

何かを付け加えるよりも、

何かを取り除く作業が増えていく。


もしかすると、

上達とは能力を足すことではなく、

現象の邪魔を減らしていくことなのかもしれない。


現象の主役は自分ではない。

だからこそ、

自分を消そうとするのではなく、

ただ少しだけ道を空けてみる。

すると、その隙間を通って、

本来起こるはずだった何かが現れる。

僕は今、そんなことを考えている。