脱力(マイナス側)の力
結局のところ、スポーツも武術も「いかに上手に動けるか」ということに集約されるのだと思う。
今までもこれからも様々な言葉を用いながら鍛錬していくのだろう。
しかし僕一人の稽古であればそれでもいいのだが、トレーナー活動もしているので選手たちのパフォーマンスも高めなければならない。
そのようなときに、
「裏を使って」
「相手と一つになって」
「関係性を感じて」
と言っても、なかなか伝わらない。
もちろんそれらは大切なことなのだが、限られた時間の中ではもう少し分かりやすい入口も必要になる。
そんなことを考えていたときに、最近面白い感覚があったので記録しておこうと思う。
プラスの力とマイナスの力
まず感覚として、プラス側の力とマイナス側の力がある。
もちろん人体の範囲なので、どちらも神経と筋肉による運動であることに変わりはない。
ただ今回はあくまで感覚的な分類として使いたい。
プラス側の力とは、普段私たちが使っている力だ。
押す。
引く。
持ち上げる。
踏ん張る。
そこには「頑張っている感じ」や「筋力を出している感じ」がある。
一方でマイナス側の力とは、その緊張をふっと解放するときの感覚だ。
膝抜きのとき。
ぎゅっと握った拳を緩めるとき。
何かを足しているというより、余計なものを引いている感覚。
私はこの感覚を仮に「マイナスの力」と呼ぶことにしている。
重要なのは、これは単なる脱力ではないということだ。
何もしないことでもなければ、身体をだらんとさせることでもない。
むしろ目的に向かって動きながら、その過程で余計な緊張を解放していく力だと思っている。
実際に試してみる
ここで一つ、実際に動いて試してみてほしい。
まずしゃがんだ状態を作る。
そこから普通に立ち上がる。
このとき、膝や大腿四頭筋などが働き、一般的な意味での「力」を使っている感覚があると思う。
次に同じ姿勢から、身体の力をふっと抜いてみる。
おそらくそのままでは前や下に崩れる。
しかしそれでいい。
身体の振る舞いと意識的な目的は別でいい。
身体の振る舞いとしては、その「崩れる方向の脱力」が重要だからだ。
では次に、立ち上がろうとする意識を持つ。
立ち上がる方向への目的は残したまま、同時に脱力を起こしてみる。
感覚としては、
「立ち上がる方向に脱力する」
という表現が近い。
すると先ほどとは少し違う感覚で立ち上がれることがある。
頑張って押し上げる感じではない。
どこを使っているか曖昧なのに、結果として立ち上がれてしまう。
私はこの感覚をマイナス側の力を使っている状態として捉えている。
なぜこの感覚が重要なのか
私たちは幼い頃から、
「どう力を入れるか」
を学んできた。
重いものを持つ。
速く走る。
高く跳ぶ。
強く投げる。
それらはどれも大切だ。
しかし競技の世界では別の現象も存在する。
- 身体が軽かった
- 勝手に動いた
- 気づいたら反応していた
- ゾーンに入った
- 力んでいないのに飛んだ
こうした経験をしたことがある人もいると思う。
もちろん筋肉は働いている。
しかし本人の感覚としては、
「頑張って出した」
というより、
「余計なものが消えた」
に近い。
私はそこにマイナス側の力との共通点を感じている。
達人は何をしているのか
以前、黒田鉄山先生が
「誰もが達人になれるわけではない」
という話をされていた。
その言葉がずっと頭に残っている。
ただ私は、それを単純に才能論として捉えているわけではない。
同じ練習をしていても、見ているものが違えば結果も変わる。
例えば腕立て伏せ一つとっても、
筋肉を鍛えている人もいれば、
力の通り道を観察している人もいる。
見た目は同じ練習でも、中身は全く別の稽古になっている。
プラス側の力しか知らなければ、
より強く。
より速く。
より大きく。
という方向に進みやすい。
それは必要なことでもある。
しかしそれだけでは、自分より強い相手や予想外の状況に対して限界が生まれる。
なぜなら、どこかを支点化し、局所的に出力することに依存しやすいからだ。
だから脱力を
「ただ力を抜くこと」
として理解してしまうと、本質から離れてしまう。
脱力とは停止ではなく、別の力の使い方なのかもしれない。
もしそうであるならば、その感覚を知らないまま努力を続けることは、地図の半分を持たずに旅をするようなものだと思う。
おわりに
もちろん、マイナスの力という言葉は私が仮に付けている名前に過ぎない。
バイオメカニクス的には作用反作用やキネティックチェーン、神経系の協調などで説明できる部分もあるだろう。
しかし説明が先に来ると、どうしてもプラス側の力で理解しようとしてしまう。
だから今はまず、この感覚そのものを大切にしたい。
力が抜ける。
どこを使っているか曖昧になる。
けれども目的は達成される。
ベンチプレスでは重量を扱うことができる。
スイングでは止まることなく振り抜ける。
認識と身体のラグが減り、武術的な意味での速さも生まれる。
もしかすると私たちは、
「どう力を出すか」
ばかりを学んできたのかもしれない。
しかし、
「どう力を解放するか」
の中にも、上達の大きなヒントが隠されているように思う。
しばらくはこの「マイナスの力」という仮説を持ちながら稽古を続けてみたい。