身体や人間は、自分の思い通りに操作できるほど単純ではない

トレーナーとして活動していると、時々考えることがある。

それは、

「人は変えられるのだろうか」

ということだ。

もちろん、トレーニングを指導すれば筋力は向上するかもしれない。

食事を改善すれば体重も減るかもしれない。

しかし、その一方で同じ指導をしても結果が出る人と出ない人がいる。

真面目な人が伸び悩み、

意外な人が大きく成長することもある。

僕は高校時代、努力してもなかなか結果が出なかった。

だからだろうか。

「こうすれば必ず良くなる」

という言葉を簡単には信じられない。


トレーナーになってからも、その感覚は消えなかった。

スクワットのフォームを教える。

胸を張る。

腹圧を入れる。

膝をこう動かす。

確かに多くの人には有効だ。

しかし、それがその人にとっての最適解かと言われると分からない。

身体は思ったより複雑だ。

人間はもっと複雑だ。


最近は、

「指導する」

という言葉に少し違和感を持つようになった。

もちろん知識を伝えることは大切だ。

基本を教えることも必要だ。

しかし僕が本当にやりたいことは、

相手を自分の理想の形へ近づけることではないのかもしれない。

むしろ、

「この人の身体では何が起きているのだろう」

を一緒に観察することなのだと思う。


身体や人間は、自分の思い通りに操作できるほど単純ではない。

だからこそ面白い。

もし完全に操作できるなら、

身体は機械と変わらない。

しかし実際はそうではない。

同じ練習をしても違う結果になる。

同じ言葉でも違う受け取り方をする。

だから僕は最近、

人を変えようとするよりも、

変化が起きる条件を探したいと思うようになった。


トレーナーの役割は何だろう。

昔は、

正しい答えを持っている人だと思っていた。

今は少し違う。

僕にとってトレーナーとは、

答えを与える人ではなく、

問いを持ち寄る人。

現象を観察する人。

そして、

人が何かを発見できる場をつくる人。

そんな存在なのだと思う。