どのイメージが再現性を高めるのか

どのイメージが再現性を高めるのか(前編)

ベンチプレスを挙げるときも、ゴルフでドライバーを振るときも、ダーツを投げるときも、合気上げをするときも、気配避けをするときも。

やっていることは違うのに、どこか同じ問いを抱えています。

「どうすれば、あの状態にもう一度入れるのか。」

一度うまくいった動きは、確かに存在します。

300y飛んだ日。

ダーツでハットトリックが出た瞬間。

ベンチプレスのMAXが軽く感じた日。

相手が崩れた合気上げ。

気配を読めたような感覚。

しかし、その“うまくいった状態”は、常に再現できるわけではありません。

だから考えます。

何をしていたのか。

何をイメージしていたのか。

どこに入っていたのか。

最近は特に、「どのイメージが一番早く、無駄なく、その状態に入れるのか」ということをよく考えています。

イメージはたくさんあります。

「右手を全体として扱う」

「自分を消す」

「場と一体になる」

「空間に動かしてもらう」

「重さに入り込む」

しかし、どれが本当に再現性を持つのか。

今日は、いくつかの具体例を、あえて整理しすぎずに並べてみます。


ゴルフ ― 300yドライバー

まず、ボールの前に両足を揃えて立ちます。

まだスタンスではありません。

ただ、立つ。

ここで全身がボールを捉えている状態をつくります。

見た目は変わりません。

しかし、内側では微細な圧が集まります。

足裏が床に入り、骨盤が静まり、胸郭がわずかに広がる。

全身でタックルする直前のような、静かな圧。

この時点で既に、「打とう」とはしていません。

ボールと自分が、同じ場にいる。

その感覚を崩さないまま、スタンスに入ります。

ここが難しい。

足幅を決めた瞬間に、支点が生まれることがあります。

肩を落とした瞬間に、局所が緊張することがあります。

だから、スタンスに入るのではなく、「関係性を広げる」つもりで足を開きます。

ボールとの関係を、目標ラインまで延長する。

ボールと目標が一本になる。

ここまで来て、やっとテイクバックに入ります。

しかし、テイクバックを「作る」と崩れます。

シャローに入れよう。

インサイドアウトに振ろう。

腰を切ろう。

そう考えた瞬間、身体のどこかが支点になります。

止まる。

なので最近は、乱れないことだけを前提にします。

あとは、フェースでボールをライン上に潰す。

潰すというより、潰れる。

うまくいくときは、「振った」感覚がありません。

ただ、300yという結果を含んだ関係の中にいた。

それだけのような気がします。


ダーツ ― ハットトリック

ダーツはさらに露骨です。

ブルに正対します。

脱力します。

自分の存在感を真ん中のラインに入れます。

ここまでは簡単です。

半身になり、右手に意識を持っていきます。

そして、その右手を全身へ拡張します。

足の1mmが、右手の1mm。

この感覚が出ると、投げる準備はほぼ整っています。

しかし、ここからが難しい。

右手をブルまで拡張する。

ブルの中心に、自分の存在を重ねる。

ここで「当てよう」と思うと崩れます。

なので、ブルに投げさせてもらう。

空間が1mm動き、その1mmが動作になる。

うまくいくと、3投ともブルに入ります。

しかし成功したときの感覚は薄い。

当てた、というより「成立した」。

このとき、自分は何をしているのでしょうか。

投げているのか。

それとも、ブルという関係性に入っているだけなのか。


ベンチプレス ― MAX挙上

ベンチとバーベルに挟まれた状態を受け入れます。

背中にはベンチが生えている。

手にはバーベルが生えている。

生まれたときからこの形だった。

重さに対抗するのではなく、重さと存在の関係に入る。

ここで重要なのは、「押す」ではなく「入る」ことです。

直線的に押すと、どこかが止まります。

肩で止まる。

肘で止まる。

しかし、太い帯の中で動くような感覚になると、止まりません。

うまくいくときは、力感が少ない。

しかし重量は上がる。

気合を入れたときの方が、止まる。

これも不思議です。

重さに勝ったのか。

それとも重さという関係に入っただけなのか。


ここまで書いて、少し見えてきます。

どの種目でも共通しているのは、

「自分が何をするか」ではなく

「何との関係に入るか」

という視点です。

しかし、まだ結論を出すには早い気がします。

合気上げや気配避けの話を入れないと、片手落ちです。

後編では、

そこまで踏み込みます。


どのイメージが再現性を高めるのか【後編】

前編では、ゴルフ、ダーツ、ベンチプレスを通して、

「自分が何をするか」よりも

「何との関係に入るか」

が鍵ではないか、というところまで来ました。

では、相手がいる場合はどうでしょうか。


合気上げ ― 足すのではなく、渡す

合気上げは、ベンチプレスの延長でもできます。

全身で重さに入り込む。

押すのではなく、関係に入る。

しかし、より繊細に行う場合は、少し違います。

抑えられている手の圧力。

足裏にかかっている重力。

そこに何かを足すのではなく、

その圧の位置をずらす。

相手の後方へ、渡す。

このとき、「上げる」という意図が強いと止まります。

上げようとする雰囲気そのものが、相手に伝わります。

逆に、上がる関係性に入っているときは、

相手は上がります。

足した覚えはありません。

むしろ、引いた感覚があります。

自分が消える、というより、

自分が前に出ない。

しかし、完全に消えているわけでもない。

参加している。

この曖昧さが面白い。


気配避け ― 判断が入らない世界

肩の上20cmから棒を振り下ろされる。

見てからでは間に合いません。

では、どうするのか。

相手の1mmが、こちらの1mm。

言葉にすると簡単ですが、実際は曖昧です。

判断を挟んだ瞬間に遅れます。

「来た」と思ったら遅い。

なので、判断や評価を消す。

しかし、何も感じていないわけではない。

むしろ、より広く感じています。

相手の雰囲気が動いた瞬間、こちらも動く。

うまくいくと、避けた感覚がありません。

振り下ろさせたような感覚。

ここまで来ると、もう技術ではありません。

完全に関係性です。


変数という視点

ここでひとつ整理します。

ダーツやベンチプレスは、変数が少ない。

ゴルフも、風や地面の傾きはあるものの、相手ほど変動はしません。

しかし、合気上げや気配避けは、変数が多い。

相手の意思。

相手の力。

タイミング。

雰囲気。

変数が多いほど、「自分がこうする」という発想は弱くなります。

代わりに、「関係に入る」しかなくなります。

つまり、

変数が少ない種目でも、

本質は同じなのではないか。

ただ、外部変数が少ないだけで、

実は常に関係の中にいる。


再現性とは何か(もう一度)

再現性とは、フォームを固定することではない。

感覚を思い出すことでもない。

「結果を含んだ関係性に、どれだけ早く入れるか」

これに近い気がします。

そしてさらに言えば、

「関係性に入るという行為を、どれだけ当たり前にできるか」

ダンスの振り付けは、最初は考えます。

しかし何度も繰り返すと、考えなくなります。

考えなくなったとき、

初めて表現が生まれます。

歌も同じです。

音程を外さないことに必死な段階では、余裕がありません。

音程が自動化されると、

抑揚や表情に意識を向けられます。

では、「関係性に入る」ことも、自動化できるのでしょうか。

できるのかもしれません。

毎回、「入ろう」とするのではなく、

入るのが前提になる。

そこまでいければ、

さらに別の層が扱えるはずです。


関係性という言葉の意味

なぜ「関係性」という言葉がしっくり来るのか。

この言葉は、操作を含みません。

「こう動け」という命令がありません。

しかし、評価を含みます。

「入れていたかどうか」という観察が可能です。

また、「消す」と「参加する」の両方を含められます。

自己を消す、という一方向ではありません。

自己をどれだけ適切に参加させられたか、という視点も含められます。

陰陽の両方を含められる言葉。

だから便利なのかもしれません。


それでもまだ曖昧

ただ、正直に言えば、まだ曖昧です。

関係性に入る、と言っても、

どうやって入るのか。

それもまた関係性です。

ポジションを整える。

呼吸を整える。

脱力する。

拡張する。

それらは入口です。

しかし最後の一歩は、

操作ではなく、移行です。

スイッチが切り替わるような。

そこをどう言語化するか。

まだ分かりません。


今のところの結論

現時点で、最も再現性が高いと感じるのは、

「関係性に入る」というイメージ

です。

ハットトリックという関係性。

300yラインという関係性。

重さという関係性。

相手との力の関係性。

動作中に「こう動くべき」という制約を入れず、

しかし終わったあとに観察できる。

今のところ、この言葉が一番広く、深く使えます。

これが当たり前になったとき、

また別の問いが生まれるでしょう。

おそらくその問いもまた、

関係性の中から立ち上がります。

思考はまだ続いています。

そして、探究そのものも、

何かとの関係なのかもしれません。