神経学などでも考える

これまで身体について考え、動きについて探究し、武術やトレーニングを通して様々な仮説を立ててきました。

最近になってようやく、それらが一本の流れとして整理できる感覚が出てきました。

ここでは、今の自分なりに

三つの層

としてまとめてみたいと思います。


第一層:身体内部の構造 ― 状態操作とひと拍子

最初に取り組んだのは、純粋に「身体の構造」です。

例えば、

「右手を挙げてください」

と言われたとき、多くの人は肩から先を使って腕を挙げます。

すると肩に緊張が生まれます。

しかし、

「体全体を右手だと思って挙げてください」

と言うとどうでしょうか。

肩の緊張は消え、代わりに下半身や体幹が参加します。

この違いは何か。

それは、

運動単位の再定義

です。

局所で動かすのではなく、 全身を一つの連動構造として扱う。

私はこれを「状態操作」と呼んできました。

あらかじめ地面へ力が通る状態を作っておき、 その上で腕を出す。

すると反作用は肩で止まらず、 下半身を経由して地面へと流れます。

これは単なる脱力ではありません。

トルクの分散です。

さらに発展していったのが「ひと拍子」という概念です。

筋肉は近位と遠位を同時に引き合います。 通常は体幹側が固定されるため末端が動きます。

しかし構造がつながれば、 指の1mmは肘へ、肩へ、反対側の足へと連なります。

私はこれを「逆末端」と呼んできました。

どこにも支点を作らず、 どこもぶつからず、 全身が一つの間で動く。

これがひと拍子です。

ここまでは、身体内部の話です。


第二層:神経制御の構造 ― 予測とボディスキーマ

しかし、身体内部の構造だけでは説明できない現象が出てきました。

構えの瞬間に「消える」感覚。

動き出しが「勝手に始まる」感覚。

ここで神経科学の概念が役立ちます。

人間は常に

予測 → 実際 → 誤差修正

を繰り返しています。

これがフィードフォワード制御です。

熟練してくると、 動く前にすでに体幹は準備されています。

しかしさらに深い状態では、

意識的な準備が消えます。

それでも身体は整っている。

これは、

ボディスキーマ(身体地図)の拡張

が起きている可能性があります。

「右手」が肩から先ではなく、 足裏まで含んだ一体構造として再定義される。

さらに構えの瞬間では、

内部モデルと外部環境の予測が一致に近づきます。

予測誤差が最小になる。

補正が不要になる。

すると主体感が薄れる。

しかし制御は失っていない。

むしろ高度化している。

動作は「自分が起こす」のではなく、

勝手に始まる。自分を含んだまま。

この状態は、神経的には 予測モデルが安定した「動的平衡」に近いと考えられます。

止まっているのではなく、 微細に揺らぎながら、 どの方向にも動ける。

構えとは、 静止ではなく、

全方向ベクトルの平衡点

なのかもしれません。


第三層:関係性の構造 ― 場基準の予測

ここでさらに壁にぶつかります。

相手がいる。 的がある。 道具がある。

外部との関係性が入った瞬間、 内部構造だけでは足りなくなります。

通常のフィードフォワードは、

「自分がこう動く」

という自己中心の予測です。

しかし熟練が進むと、

「場がこう流れている」

という予測へ移行します。

自分が未来を作るのではなく、

未来の流れに身体が合流する。

これを私は「場基準の予測」と呼んでいます。

構えで消える瞬間は、 自己基準が薄れ、 場の基準が立ち上がる瞬間なのかもしれません。

ここまで来ると、

切る/切られる
勝つ/負ける

という言葉が揺らぎます。

主体がどこにあるのか分からなくなる。

起きているのは、

関係性の変化。

状態遷移。

「切った」のではなく、 切断という現象が生じただけ。

ここに哲学が入ってきます。


今の立ち位置

私は今、

第一層の身体構造を理解し、 第二層の神経制御に気づき、 第三層の関係性に足を踏み入れたところにいます。

まだ安定していません。

常にそこにいられるわけでもありません。

しかし、

構えの瞬間に消え、 動きが勝手に始まる感覚は確かにあります。

これは特別な能力ではなく、

身体・神経・関係性が 一つの系として整った結果だと思っています。


これをどう扱うか

重要なのは、

この感覚を神秘化しないこと。

身体構造として説明できる部分は説明し、 神経制御として整理できる部分は整理し、 それでも残る問いを哲学として扱う。

三層を混ぜない。

しかし切り離さない。

それが今の自分のスタンスです。


これから

まだ名前のない状態があります。

場と同相になる感覚。 自己を含んだまま消える感覚。

それをどう言語化するか。

そしてそれをどう指導に落とすか。

これからも探究は続きます。

今はただ、

ここに立ち、

構え、

流れに身を置く。

そこから始まるものを、 丁寧に観察していきたいと思っています。