ここまでの整理
これまでの歩みや思考、そして身体を通して見えてきた哲学を、一度整理しておきたいと思う。
① 構造として強い状態 ― 状態操作
まず最初に取り組んできたのは、「構造として強い状態」である。
これを、ひとまず状態操作と呼んでいる。
例えば、普通に立ったまま、その状態を変えずに壁へ腕を伸ばすとどうなるか。
壁からの反作用はそのまま上半身に返り、身体は反対方向へ崩れる。
つまり、腕だけで押している構造だ。
ではどうするか。
腕を出す前から、身体の内部に地面方向へ力が流れる状態をつくっておく。
脱力し、下とのつながりを感じる。
上ではなく、下へと通っている状態を先に準備する。
その状態で腕を出すと、跳ね返ってきた力は上半身に溜まらず、
下半身を経由して地面へ返っていく。
押しているのは腕だが、受けているのは全身である。
これが状態操作の第一段階だった。
② ひと拍子 ― 等速的動作の理解
次に現れたのが「ひと拍子」という概念である。
意味としては、等速的で、途切れない動作を指している。
筋肉が収縮する際、実は近位も遠位も同時に引き合っている。
通常は体幹側(近位)が重いため動かず、遠位が動く。
しかし、懸垂ではどうか。
棒が固定されているため、体幹側が動く。
つまり筋収縮は、本質的にはどちらも引っ張っている。
指を曲げるとき、手首を固定しているから指が曲がる。
固定点があるから遠位が動く。
ここから発展した。
指の屈曲1mmは、手首の1mmへ。
手首の1mmは、肘へ。
肘は肩へ。
肩は体幹へ。
そして最終的には反対側の末端へ。
これを逆末端と呼んでいる。
右手で打つとき、左手の引きとつながっている。
言い換えれば、左手の引きで打っている。
どこも支点とせず、
どこもぶつからず、
全体が一つの間で動いている。
それを「ひと拍子」と呼んだ。
ここまでは、あくまで身体内部の話。
まだ自己の中の構造である。
③ 限界 ― 外との関係性
しかし、実戦では壁が現れた。
相手がいる。
的がある。
道具がある。
ダーツの的、切る対象、
外との関係性が入った瞬間、
身体内部の理屈だけでは足りなくなる。
動作確認としては優秀だが、
実戦で「意識すべきこと」ではない。
では、外を含めるとどうなるのか。
④ 纏い ― 抗わない外側
そこで出てきたのが「纏い」である。
鬼の手に掴まれる。
霊を宿す。
操り人形になる。
オーラに包まれて、そのオーラで動く。
言葉は何でもいい。
共通しているのは、
外側の概念を抗わずに受け入れること。
仮想の巨大な鬼の手が腕を掴み、前へ強く引くとする。
力が入っていれば、腕はちぎれる。
完全脱力でもちぎれる。
必要なのは「緩み」である。
内部に支点を作らない脱力。
ひと拍子と同質の状態。
そのうえで、纏っているものが主体として動く。
理屈上は、どんな姿勢からでも動ける。
効率は最適でなくても、動き出せる。
「こうでなければならない」という自己の拘りが消えるからだ。
初学者や咄嗟の場面では、非常に有効である。
⑤ 重さと関係性の理解
さらに視点は広がる。
空中では力は伝わらない。
地面では伝わる。
空中でトラックを押せば、自分が飛ぶ。
だが地面と対象物に挟まれた存在として立てば、押せる。
自分は単体ではない。
常に地球との関係性の中にある。
重さの下に入る感覚。
エネルギーやベクトルが地続きである感覚。
ここで「関係性としての力」が見えてくる。
力とは何か。
押すとは何か。
切るとは何か。
単体の行為ではなく、
関係の中で生じる出来事ではないか。
⑥ 自己を薄くする
ここで問題が現れる。
自分が強く出るほど、動作は鈍る。
イメージ、発話、評価、判断。
どこまで薄くできるか。
「自分が消える」とは何か。
今ここを広げたとき、
ただ「在る」という感覚が残る。
色即是空。
ここから哲学が必要になる。
⑦ 時の全体性
親がいて、その親がいて、さらに親がいる。
子がいて、その子が続く。
自分の身体も、二足歩行も、脳も、
すべて外からの連続の上にある。
辿れば、すべては一つにつながる。
無機物も例外ではない。
剣も相手も自分と言えるし、
自分も剣や相手と言える。
評価が消え、
自己と対象が溶ける。
仮に名づけるなら「全知全能」。
⑧ 切るとは何か
しかしここで矛盾が起きる。
剣までを自分とすれば「切る」は成立する。
相手まで含めれば、誰が誰を切るのか。
主体を置いた瞬間にズレる。
切る/切られる
勝つ/負ける
これらは分離世界の言葉である。
一つにした瞬間、言葉の足場が消える。
切れなくなったのではない。
「切る」という言葉が使えなくなっただけだ。
起きているのは、
関係性の変化による結果としての切断。
主体はない。
場と流れだけがある。
⑨ レイヤーを行き来する
しかし稽古や試合では評価が必要だ。
ここで分かる。
深層では主語を消し、
表層では言葉を使う。
これは後退ではない。
レイヤーを行き来しているだけだ。
⑩ 今
最近は「薄くする」よりも、
自分だけが世界から遅れている感覚のほうが強い。
世界はすでに流れている。
場も時間も関係も、進み続けている。
ならば薄くするのではなく、
いなくなればいい。
自分が剣になり、
相手になり、
場になる。
そのほうが速い。
ただそこには評価がない。
それでも今は、
ここにいて、
剣を振る。
切るかどうかより先に、
場と共に在る。
その延長線上で、
もし切断が起きたなら、
それはただ、
起きた出来事として受け取ればいい。