ゴルフスイング研究(円か直線か)
切り返しでは、何が途切れているのか
円運動、直線運動、静止したトップから考えるゴルフスイング
最近、ゴルフスイングについて一つのイメージを試していた。
僕は、スイング中に身体の細部を強く意識することをあまり好まない。
グリップをどうする、腰をどう回す、右肘をどこへ置く、といった身体操作を増やすほど、僕自身の認識の状態がズレていくように感じるからだ。
そこで最近は、まずリラックスし、自分が最もよく観えている状態を作る。
そこから、自分の外側が勝手に動き、スイングレーンを形成していくような感覚でクラブを振っている。
自分がクラブを操作するというよりも、すでに存在する運動の中に身体が入っていく。
少なくとも僕にとっては、その方が思考が軽く、スイング中に認識が濁りにくい。
今回考えたいのは、そのスイングレーンの形についてだ。
「引いて、振る」というスイング
これまで僕は、スイングレーンそのものについて深く考えていなかった。
感覚としては、タオルを引いてから振るように、
「引く」
「切り返す」
「振る」
という順番でクラブを動かしていた。
バックスイングで引き、トップ付近で方向を変え、そこからボールに向かって振る。
これは一般的なスイングイメージにも近いと思う。
しかし、あるとき疑問が生まれた。
円運動には、本来「引く」と「振る」という二つの局面が存在しないのではないか。
円の上を動く物体は、進行方向を少しずつ変えながら、1から100まで連続的に加速していくことができる。
そこには、
「ここまで引く」
「ここで止める」
「ここから振る」
という明確な分断がない。
ただ曲がり続け、その過程で速度が増していく。
一方で、「引いてから振る」というイメージでは、引く方向への運動と、振る方向への運動が別々に存在する。
仮に、引く方向へ60の勢いがあるとする。
その状態から振る方向へ100の出力をしようとすれば、まず引く方向の60を消さなければならない。
しかも現実には、引く方向への速度が完全に0になってから、綺麗に振る方向への出力が始まるとは限らない。
引くために出していた力が残ったまま、振る方向への力を追加するかもしれない。
クラブには慣性もある。
身体の各部も、すべてが同時に方向転換するわけではない。
すると切り返しでは、
- 引く方向への運動
- 引く運動を減速させる力
- 振る方向へ加速させる力
- クラブや身体各部の慣性
が重なり合う。
本人は一回の切り返しをしたつもりでも、実際には複数の力が時間差でクラブに伝わっている可能性がある。
そうであれば、切り返しとはスイングの中でも特に認識と結果がズレやすい場所になる。
僕が試した「円を徐々に加速させる」というイメージは、この分断をなくすものだった。
引いてから振るのではない。
最初から最後まで、外側が一つの軌道を進み続ける。
インパクトも、独立した出来事ではない。
1から100へ続く加速の途中に、たまたまボールが置かれている。
このイメージでアイアンを振ると、かなりうまくいった。
ところが、ドライバーでは以前の「引いて振る」感覚の方がうまくいった。
ここで最初の疑問が生まれた。
新しい考え方にドライバーだけ慣れていないのか。
それとも、円を徐々に加速させるという理論そのものが間違っているのか。
円が正しいのではなく、断絶が少ない
最初は、円運動の方が正しいように思えた。
円は滑らかであり、方向転換の衝突が起こりにくい。
一方、直線的な切り返しでは、進行方向を反対にしなければならない。
そのため、一度運動を止めてから、逆方向へ動かす必要があるように見える。
だから円に丸みを持たせるべきなのだ、と結論づけることもできる。
しかし、ここで一つ立ち止まった。
考えたいのは、
「だからスイングを丸くするべきだ」
という技術論ではない。
直線的な切り返しのまま、運動を地続きにする方法はないのか。
円を採用しなければ連続性を作れないのであれば、円が正解ということになる。
しかし、直線的な反転でも連続性を作れるなら、問題の本質は軌道の形ではなく、別の場所にある。
そこで例に出てきたのが、真上に投げたボールだった。
ボールを上に投げる。
ボールは上昇しながら減速し、頂点で一瞬速度が0になり、その後落下する。
軌道はほとんど一本の直線だ。
上向きに動いていたものが、同じ直線上を下向きに戻ってくる。
それでも、ボールの運動が頂点でぶつかったようには見えない。
上昇と下降は地続きに見える。
なぜだろう。
それは、ボールの速度が0になっても、ボールに働く重力が0になっていないからだ。
ボールがまだ上へ動いている間から、重力はずっと下向きに働いている。
上昇中の重力は、ボールを減速させる。
頂点で速度が0になった後、同じ重力がボールを下向きに加速させる。
重力が途中で役割を変更したわけではない。
一つの同じ作用が、ボールの状態によって、
「上向きの速度を減らす力」
にもなり、
「下向きの速度を増やす力」
にもなっている。
このことから、直線的な切り返しでも地続きは成立すると考えられる。
地続きにするべきなのは、必ずしも速度ではない。
運動方向を変化させる原因、つまり作用や加速度を連続させればよい。
切り返しとは、力を入れ替えることではない
「引いてから振る」という認識では、二つの力が存在する。
まず引くための力を出す。
その力を止める。
その後、振るための別の力を出す。
この場合、引く動作と振る動作には、それぞれ別の命令者がいる。
一方、ボールの例では、下向きの作用は最初から一つしかない。
ボールがまだ上へ進んでいる間も、作用はすでに下を向いている。
その作用によって上向きの速度が、
60
50
40
20
0
と減っていく。
そして作用を途切れさせなければ、
下向きに20
40
60
100
と速度が増えていく。
ここで重要なのは、速度0の瞬間にも作用は存在していることだ。
外から見ると、物体は止まっている。
しかし、内部の関係としては、方向が最も大きく更新されている瞬間でもある。
この考え方をゴルフへ持ち込むと、切り返しの意味が変わる。
トップは、
「バックスイングが終わり、ダウンスイングが始まる場所」
ではない。
むしろ、
「ダウンスイング側への作用によって、バックスイング方向の速度が0になる場所」
と考えられる。
クラブはまだバックスイング方向へ動いている。
しかし、クラブの運動を変化させる作用は、すでにダウンスイング側へ向かっている。
ここでは、
「反対方向へ動いている」
ことと、
「反対方向へ力を出している」
ことを分けなければならない。
クラブがまだ上がっているからといって、身体が上げるための力を出し続けているとは限らない。
身体はすでに下ろす側へ変化しており、クラブだけが慣性によって上がっていることもある。
その場合、二つの能動的な力が衝突しているわけではない。
残っているのは過去の運動であり、現在の作用は一方向だけである。
だから直線的な切り返しでも、力はぶつからない。
切り返しとは、
「引く力を止めて、振る力へ交換すること」
ではなく、
「一つの作用が、減速から加速へ役割を変えて見えること」
なのかもしれない。
それなら、トップで完全に止まってもよいのではないか
ここまで考えたとき、新しい疑問が生まれた。
真上に投げたボールが5メートルの高さまで上がり、そこから落ちてくる場合を考える。
一方で、最初から5メートルの高さにボールを持ち上げ、静止した状態から手を離す場合を考える。
空気抵抗などを無視すれば、地面へ到達する直前の速度は同じになる。
投げ上げられたボールも、頂点では速度0だ。
その瞬間だけを見れば、5メートルの高さで静止しているボールと変わらない。
投げ上げられたという過去は、落下時のエネルギーに追加されない。
それなら、ゴルフスイングでもトップで完全に静止し、そこからダウンスイングを始めてもよいのではないか。
動的な切り返しを使わなくても、トップからインパクトまでに同じ仕事をクラブへ与えられれば、同じヘッド速度を得られるのではないか。
この仮説は、武術の寸勁ともつながる。
一般的には、大きな加速度を得るためには助走距離が必要だと考えられている。
拳を大きく引き、十分な距離を使って加速した方が強い打撃を出しやすい。
しかし寸勁は、ほとんど助走距離がないように見える位置から力を伝える。
距離が短くても、0から100までをロスなく立ち上げる身体操作があるなら、事前に反対方向へ動く必要はないのではないか。
トップで一度完全に止まり、そこから動き始めても、同じエネルギーへ到達できる可能性はある。
物理的な原理だけでいえば、これは成立する。
インパクトまでにクラブへ同じ仕事を与え、同じ速度に到達できるなら、トップ以前にクラブがどのように動いていたかは、最終的な運動エネルギーを直接決めない。
反対方向への慣性そのものが、魔法のようにダウンスイングのエネルギーへ加算されるわけではない。
むしろ反対方向への速度は、方向転換の過程で一度消える。
ここで、当初の「反対方向への慣性がある方がエネルギーを蓄えられる」という理解は修正する必要がある。
動的なバックスイングの価値は、反対方向への速度そのものではないのかもしれない。
動的スイングは、バックスイングを準備時間として使っている
人間が静止状態から最大筋力へ到達するには時間がかかる。
一般に、短時間の運動では最大筋力をすべて発揮できるとは限らない。
仮に最大筋力の立ち上がりに0.4秒程度必要であり、トップからインパクトまでの時間がそれより短いなら、完全静止から始めるスイングでは、十分な力積をクラブへ与えられない可能性がある。
そう考えると、動的切り返しの方が有利に思える。
しかし、ここでも単純に、
「動いていた方が力が強い」
と結論づけるだけでは不十分だ。
動的スイングでは、クラブがトップへ到達する前から、ダウンスイングに必要な身体状態を準備できる。
筋の活動状態。
筋腱複合体の伸張。
関節同士の位置関係。
足裏の圧。
骨盤と胸郭の速度差。
腕とクラブの慣性。
身体各部をつなぐ張力。
神経系が予測している次の動作。
これらは、クラブヘッドがどちらへ動いているかとは別に、少しずつダウンスイング側へ組織化されていく。
クラブがまだ上がっている間に、身体はすでに下りるための準備を始められる。
したがって動的なトップとは、ダウンスイングの開始位置ではない。
すでにダウンスイングの準備が進み、一部ではダウンスイング側への作用も始まっている途中で、クラブの速度だけが一瞬0になる局面である。
これは静止した写真からは見えにくい。
見た目の姿勢が同じであっても、その姿勢へどう到達したかによって、身体内部の状態は異なる。
同じ姿勢でも、同じ状態ではない
ここが今回の議論で最も大きなポイントだと思う。
物体の単純な運動を考える場合、位置と速度が同じなら、同じ状態として扱えることがある。
しかし、人間の身体はそれほど単純ではない。
同じトップの姿勢。
同じクラブの位置。
同じクラブヘッドの速度0。
それでも身体内部では、
- どの筋が活動しているか
- どの組織が伸ばされているか
- どこに圧がかかっているか
- どの関節が支持点になっているか
- どの方向へ動こうとしているか
- どの部位に慣性が残っているか
が違う。
つまり、見た目の形が同じでも、身体という系の内部状態は同じではない。
たとえば、腕をある位置で静止させた二人がいたとしても、一人は力を抜いてぶら下げており、もう一人は外から見えない程度の張力を全身に通しているかもしれない。
位置は同じでも、そこから生み出せる運動は異なる。
ここで「筋膜の張り」という考え方も出てくる。
ただし、準備されるのは筋膜だけではないと思う。
筋、腱、筋膜、関節包、骨格配置、地面反力、身体各部の慣性、神経系の予測。
これらを含めた全体の張力状態が、次の運動に適した形へ整えられている。
動的なスイングでは、動きながら張力状態を作る。
完全静止型のスイングでは、静止した状態に適した張力状態を作る必要がある。
ここで両者は、単に「止めるか、止めないか」という違いではなくなる。
弓を引くイメージが生んだ誤解
僕の中には、どこかで弓を引くようなイメージがあったのだと思う。
バックスイングによって身体やクラブにエネルギーを蓄え、それをダウンスイングで解放する。
弓を引けば引くほど、矢を強く飛ばせる。
だからクラブを反対方向へ動かし、そこで張りを作ること自体が、ダウンスイングのエネルギーを生むと考えていた。
もちろん、筋腱の伸張やクラブのしなりなど、弾性的な要素が存在しないわけではない。
しかし、人間のスイングを単純な弓として見ると、いくつかのものを混同する。
一つは、反対方向への運動エネルギー。
一つは、身体組織に生じる弾性的なエネルギー。
一つは、次の運動を行いやすくする身体配置。
一つは、筋力を立ち上げるために使える準備時間。
これらは同じではない。
反対方向へ速く動けば、そのまま正方向へのエネルギーが大きくなるとは限らない。
反対方向への慣性が大きすぎれば、それを止めるための力や制御も必要になる。
身体が防御的に固まり、軌道が乱れるかもしれない。
一方で、反対運動が適切であれば、その時間を利用して身体の張力関係を整えられる。
筋腱を適度に伸張させられる。
身体各部の時間差を作れる。
次の運動に必要な地面との関係を作れる。
つまりバックスイングは、単なるエネルギー貯蔵ではなく、正方向のスイングを行うための準備過程として捉えた方がよい。
反対方向への慣性を最大化すればよいわけではない。
正方向への理想的なスイングを可能にするだけの反対運動があればよい。
完全静止型スイングは、動的スイングの一時停止版ではない
ここまで考えると、完全静止型と動的スイングは別物だという結論に近づく。
たとえば、通常の動的なバックスイングを行い、トップで急に数秒間静止し、その後もう一度振り始めたとする。
これは、動的スイングの利点をそのまま保持した静止型スイングとは限らない。
動的な過程で生まれた張力や筋活動、各部位の速度差は、静止している間に変化する。
張力が抜けるかもしれない。
逆に、静止を維持するために余計な筋活動が加わり、身体が固定されるかもしれない。
反射的な作用や伸張の履歴も変わる。
したがって、
「動的スイングを途中で止め、再開する」
ことと、
「最初から完全静止型として組織されたスイングを行う」
ことは同じではない。
完全静止型で力を出すなら、静止状態から力を伝えるための別の準備が必要になる。
骨格的に力を受けられる配置。
静止状態で保たれる事前張力。
関節の遊びを減らした状態。
地面からクラブまで力を通す経路。
始動直後から有効な出力を立ち上げる能力。
これは寸勁にも近い。
寸勁は、大きな打撃を途中から始めただけの技術ではないだろう。
助走距離が短いという条件の中で力を伝えるために、接触前から身体全体が別の形で準備されている。
拳の移動速度は0に近くても、身体の状態まで0ではない。
外から見える運動が小さくても、内部ではすでに対象へ力を通せる関係が成立している。
同じように、完全静止型のゴルフスイングも、
「何もない0から突然100を作る」
というより、
「クラブの速度は0だが、100へ向かうための内部状態はすでに存在している」
と考えた方がよい。
外側の静止と、内側の静止は違う
この区別は非常に重要だ。
クラブが止まっている。
身体の見た目も止まっている。
しかし、それだけでスイング全体が完全に停止しているとは限らない。
筋には事前張力があるかもしれない。
足裏には方向性を持った圧があるかもしれない。
骨盤と胸郭の関係には、次に解放される余地が残っているかもしれない。
神経系はすでに次の動きを予測し、出力の準備を終えているかもしれない。
そのような状態は、準備された静止である。
一方で、クラブも身体も止まり、張力も方向性も失われ、そこからもう一度身体を組み直さなければならない状態もある。
これは解けた静止である。
どちらも見た目は静止しているが、次に生み出せる運動は大きく異なる。
だから問題は、
「トップで止まってよいか」
ではない。
「トップで止まったとき、何が残っているか」
である。
速度が0になってもよい。
外側の運動が一瞬止まってもよい。
しかし、力の通り道、張力の関係、次の運動への方向性まで切れてしまえば、そこからもう一度スイングを組み立てる必要がある。
逆に、それらが残っているなら、静止からでも大きな出力を生み出せる可能性がある。
円、直線、静止は対立する理論ではない
最初は、円運動と直線的な切り返しのどちらが正しいかを考えていた。
円運動なら、方向を急激に反転させずに済む。
曲がり続けながら加速できるため、外側の運動が途切れにくい。
直線運動では、一度速度0を通らなければ反対方向へ進めない。
しかし、作用や加速度を連続させれば、速度0を通っても運動全体は地続きになり得る。
さらに、完全静止型では、外側の運動を一度止めながら、内部の出力可能性を保持することができるかもしれない。
そう考えると、三つの方法は対立しない。
円運動
速度の大きさを大きく失わず、速度の向きを少しずつ変えることで連続性を作る。
直線的な切り返し
速度を一度0にしながら、運動方向を変える作用を途切れさせないことで連続性を作る。
完全静止型
外側の速度を0にした状態で、次の出力に必要な内部状態を保持または事前に形成する。
どの方法も目指しているのは、
「外側の形を途切れさせないこと」
ではない。
より深いところでは、
「必要な関係を切らないこと」
を目指している。
円を描いていても、身体内部の力の関係が切れていれば、スイングは断絶する。
見た目には急激な直線反転でも、作用が連続していれば、運動は地続きになり得る。
完全に止まって見えても、内部の張力や方向性が残っていれば、次の運動へつながっている。
逆に、滑らかに動き続けていても、途中で力の主体が入れ替わり、複数の命令が衝突していれば、内部では分断が起こっている。
スイング理論は、形だけでは語れない
ここまでの議論から考えると、スイングを見た目の軌道だけで分類することには限界がある。
同じトップの位置。
同じクラブ軌道。
同じようなインパクト。
それでも、そこへ至る身体内部の解法は異なるかもしれない。
動的な速度差を利用する人。
筋腱の弾性的な作用を強く使う人。
骨格的な支持を使う人。
静止した事前張力から力を立ち上げる人。
身体各部の逐次的な加速を利用する人。
同じような外形でも、力が作られ、伝えられる仕組みは違う。
だからスイング理論は、
「クラブをどの軌道へ通すか」
だけでは足りない。
どの状態から始まり、どのように力を立ち上げ、何を連続させ、どの順序でクラブへ伝えるのか。
そこまで考えて初めて、一つのスイング体系になる。
完全静止型と動的スイングは、同じクラブ速度へ到達する可能性がある。
しかし、そのために必要な理想的身体状態は異なる。
動的スイングでは、バックスイングの時間を使って、移動しながら力の通り道を作る。
完全静止型では、静止状態に適した張力と構造を事前に作り、短い時間で有効な力を立ち上げる。
したがって両者は、
「同じスイングを止めるか止めないか」
という関係ではない。
同じ目的へ向かう、異なる解法である。
今回たどり着いたこと
今回の出発点は、単純なものだった。
「引いてから振るよりも、円を徐々に加速させた方が滑らかなのではないか」
そこから、
「直線的な切り返しでも地続きになり得るのではないか」
という疑問が生まれた。
そして、
「速度が0になっても、作用が連続していれば運動は切れない」
という考えにたどり着いた。
さらに、
「それならトップで完全静止してもよいのではないか」
という疑問が生まれた。
そこから、
「外側の速度が0であることと、身体内部の状態が0であることは違う」
という区別が見えてきた。
最終的には、スイングの連続性とは、クラブが動き続けることではないのだと思う。
円を描き続けることでもない。
速度0を避けることでもない。
大切なのは、
次の運動を生み出す関係が切れていないこと。
切り返しでは、クラブが一瞬止まってもよい。
方向が反転してもよい。
完全静止から始めてもよい可能性すらある。
ただし、それぞれの運動形式には、それぞれに適した身体状態がある。
動的なスイングには、動的に形成される張力と時間差がある。
静止型のスイングには、静止状態から力を伝えるための構造と事前張力が必要になる。
だから、あるスイング理論の一部分だけを切り取り、別のスイングへ移植しても、同じ結果になるとは限らない。
形が同じでも、中身は同じではない。
動いているか止まっているかよりも、そこで何が準備され、何が残り、何が次へつながっているかを見る必要がある。
今回の議論を一文にするなら、こうなる。
スイングの連続性とは、動きが止まらないことではなく、力を生み出す関係が切れないことである。
そして、もう一つ付け加えるなら、
完全静止型と動的スイングは、同じスイングの速度違いではない。それぞれ異なる準備状態を必要とする、別の運動体系である。
円か、直線か。
止めるか、止めないか。
おそらく、その二択よりも先に考えるべきことがある。
その瞬間、身体はどのような状態にあり、何が次の運動を可能にしているのか。
僕がこれからスイングを見るときは、外から見える形だけでなく、その形の内側で維持されている関係を見ていきたいと思う。