感謝の力(物理)
一流スポーツ選手のインタビューを聞いていると、
身体感覚について「内側」を語っている人は意外と少ないように感じます。
出てくる言葉はたいてい、
- 「最短距離で出す」
- 「的だけを見る」
- 「相手に合わせる」
といったように、
どこか外側を主体にした言葉遣いが目立ちます。
これは、これまで何度も書いてきた
「主体は外に置いたほうがいい」
「自己と外の境界が薄れていくと動きが良くなる」
という話と、どこか共通している気がします。
■ 「トラップしてもらっている」という言葉遣い
その中で、ふと引っかかった言葉がありました。
それが
「ボールにトラップしてもらっている」
という表現です。
同じトラップでも、
- トラップしている
- トラップさせられている
- トラップしてもらっている
と言い方はいくつもありますが、
その中でもかなり謙虚な言葉遣いだと思います。
謙虚といえば、
感謝という言葉も同じジャンルに入るかもしれません。
■ 感謝は精神論なのか?
「感謝の心で」
「感謝を忘れずに」
こうした言葉はよく聞きますし、
何かしら意味があるのだろうとは思います。
ただ、今回は精神論として扱いたいわけではありません。
パフォーマンスが上がるなら、何だってやる。
そのくらいのドライな視点で、
感謝という状態を“使えるかどうか”を考えてみたいと思います。
■ 勝負の言葉は、対比構造を持っている
まず、
勝つ・負ける
上・下
押す・崩す
こうした言葉は、
すべて対比の構造を持っています。
- 「押してやる」
- 「崩してやる」
- 「シュートを決める」
これらは、
自己が前面に出ていて、
どこか自分が上に立っている構造です。
一方で、
- 「負けるかもしれない」
- 「止めようとする」
こちらは逆に、
自己が下に置かれている構造になります。
■ 感謝の言葉は、そのどちらにも属さない
では、
- 「ありがとう」
- 「いただきます」
こうした感謝の言葉はどうでしょうか。
これらは、
勝つ・負ける
上・下
といった構造とは、
少し違う場所にあるように感じます。
感謝しているときの身体感覚を思い出すと、
- 力みがない
- 身体が硬くならない
- 大きな流れに身を任せている
そんな感覚がありませんか。
■ 感謝の身体感覚=高パフォーマンスの身体感覚?
ここで、少し話がつながってきます。
もしかすると、
感謝しているときの身体感覚と、 最高のパフォーマンスを出しているときの身体感覚は、 かなり近いのではないか。
そんな仮説が浮かびました。
言語化は難しいですが、
「〜している」ではなく
「〜してもらっている」
という言葉遣いに変えてみると、
身体の使い方が変わることがあります。
■ 「してもらっている」で動いてみる
たとえば、合気上げのような押し合い。
相手を押すのではなく、
相手の弱いところへ導いてもらっている
と考えながら動くと、
不思議とぶつかりが減ります。
ダーツでも同じです。
投げ方を捨て、
自己の都合を捨て、
少し諦めにも近い感情で、
- 「矢に投げさせてもらっている」
- 「的に当たるように身体を動かせてもらっている」
そんな感覚で投げると、
自分でもどう投げたのかわからないまま、
そこそこ良いところに刺さったりします。
■ 自己を捨てて、目的は達成されるという矛盾
ここには矛盾があります。
- 自分の都合を捨てているのに
- やりたい目的は達成されている
でも、なぜかうまくいく。
この矛盾は、
無理に解決しなくてもいいのかもしれません。
■ 感謝の状態は「力が通る状態」なのではないか
まとめると、
感謝の状態というのは、
- 力みが少なく
- 無駄な抵抗がなく
- 力が自然に通る
そんな身体状態に近いのではないかと思います。
その状態で動作練習をすることで、
- 力の遠慮
- 身体の遅れ
- 余計な支点
こうしたものが自然に修正され、
自分が理想とする動きへ近づいていく。
そう考えると、
感謝はメンタルの話ではなく、 かなり物理的な話なのかもしれません。
■ まだ本当の意味で感謝はしていないけれど
正直に言えば、
僕はまだ若いですし、
人生に対して心の底から感謝しているかと言われると、
そこまででもありません。
また、
「感謝」「謙虚」「祈り」
といった言葉を指導で使うのは、
どこか宗教的で気が引ける部分もあります。
ただ、
その状態がパフォーマンスを高めるのであれば、 今はそれを“技術”として採用していきたい。
今回は、そんなところです。