筋トレは必要か

力は使うべきか、通すべきか

――スクワット動作から考える、武術信仰と科学信仰、そして筋トレは必要か否かという問い


1. スクワットから始まった違和感

スクワットは、筋トレの王様と呼ばれることが多い。

だから、筋力トレーニングの象徴のように扱われてきた。

僕自身も、長い間そう思っていた。

ただ、ある時から違和感が出てきた。

同じスクワット動作でも、

この二つが、明確に分かれて感じられるようになったからだ。

フォームはほぼ同じ。

重量も同じ。

それなのに、

がまるで違う。

ここから、僕の中で問いが生まれた。

力は「使う」ものなのか? それとも「通す」ものなのか?


2. しゃがむ・立つという単純な動作の中身

スクワットは、単純に見える。

それだけだ。

でも、実際の身体の中では、かなり複雑なことが起きている。

例えば、しゃがみ動作ひとつ取っても

どちらも成立する。

内旋でしゃがむ感覚

内旋方向へのしゃがみは、

という特徴がある。

これは、

重さを「受ける」のではなく 重さと一緒に「落ちる」

という動きに近い。

不意に肩に重さが乗った時、

潰される前に身体が先に下に逃げる。

武術的に言えば「受け流し」に近い状態だ。

外旋でしゃがむ感覚

一方で、外旋方向でしゃがむと

高重量を扱うときには、こちらの方が安心感がある。

つまり、

内旋は「逃げる回路」 外旋は「耐える回路」

と言える。


3. 立ち上がりで起きている誤解

ここで、もう一つ混乱しやすいポイントがある。

それは

外旋で耐えてしゃがんだなら、 立ち上がりも外旋で出力するのでは?

という疑問だ。

一見すると正しそうに聞こえる。

だが、解剖学的に見ると、話は少し違う。

立ち上がり動作の主役は

であり、

外旋は「上に運ぶ力」そのものではない。

外旋は

構造保持の役割を担っている。

その状態で、

を使って、地面反力が身体を通り抜ける。

これが、

「内旋軸で立てているように感じる」

感覚の正体だと思っている。


4. 力を「使う」人と、力を「通す」人

ここで話を少し広げたい。

スクワットで感じた違いは、

そのまま

にも直結している。

力を使うとはどういうことか

力を使うというのは、

というやり方だ。

これは

という強みがある。

筋電図(EMG)で見れば、

活動量は大きく出やすい。

高重量トレーニングや、

明確な負荷設定がある場面では、

とても有効だ。

力を通すとはどういうことか

一方で、力を通すというのは

という在り方だ。

こちらは

という特徴を持つ。

武術や対人競技、

ゴルフや投擲のような世界では、

こちらが重要になる。


5. 武術信仰か、科学信仰か

ここでよく起きる対立がある。

という二項対立だ。

でも、スクワットを通して見えてきたのは、

この対立自体が少しズレているということだった。

武術が語ってきた

という表現は、

力を通す世界の言語

だっただけだ。

一方、科学が語る

力を使う世界の言語

に過ぎない。

どちらかが正しく、

どちらかが間違っているわけではない。

ただ、

見ているレイヤーが違う

それだけだ。


6. 筋トレは必要か?という問いへの答え

では、結局のところ

筋トレは必要なのか?

という問いには、どう答えればいいのか。

僕の今の答えはこうだ。

筋トレは必要だが、筋トレだけでは足りない

力を通す身体は、

実は「力を使えない身体」ではない。

これは確実に必要だ。

ただし、

筋力を「出力の主役」にし続けると、 どこかで頭打ちになる。

その先にあるのが、

力を通すという感覚だった。


7. スクワットが教えてくれたこと

スクワットは、

珍しい動作だと思っている。

高重量で

こともできるし、

軽めの負荷で

こともできる。

この両方を行き来できることが、

実は一番大事なのかもしれない。


8. 最後に

力を使うか、通すか。

武術か、科学か。

筋トレは必要か、不要か。

これらは

どちらかを選ぶ問いではない

と、今は思っている。

どちらを、いつ使えるか

その選択肢を持っていること。

スクワットという単純な動作が、

僕に教えてくれたのは、

身体における「自由度」の話

だった。

そしておそらく、

本当に強い身体とは、

力を出そうとしなくても 必要なときに力が立ち上がる身体

なのだと思う。