勝つ前に勝てそう

勝つ前に勝つ、の探求。結果が先にある身体感覚

最近、「勝つ前に勝っている」「入る前に入っている」という言葉の意味が、少しだけ身体感覚として分かってきた気がしている。

これは精神論でも、気合でもなく、ましてや未来を当てにいくような話でもない。
もっと淡々とした、動作と認識の構造の話だと思っている。

パターの練習をしているとき、たまに不思議な感覚が出てくる。
ストロークを始める前、まだ身体がほとんど動いていない段階で、意識だけが先にホールに到達しているような感覚だ。

このとき、「入れよう」とか「外すかもしれない」といった言葉は出てこない。
意識はすでにホールの位置にあり、身体はその意識の速度に遅れて付いていくだけ、という感じになる。

結果としてボールはきれいに転がり、気づけば入っている。

言葉で少しかっこよく言うなら、
「入る前に入っている」
という表現が一番近いと思う。

ここで大事なのは、「入ると信じた」とか「成功をイメージした」という話ではないことだ。
信じる、思い描く、願う、という行為は、まだ自己が強く残っている。

今回触れている感覚は、
結果が先に立ち上がり、
行動はそれに含まれて現れる、
という構造に近い。

さらに考えてみると、もし「結果」がストロークそのものだけでなく、
構えること、ラインを見ること、呼吸すること、
そういった一連の動作すべてを含んだものだとしたらどうだろうか。

構える前から、すでに「構える」という動作すら結果の一部として含まれている。
そう考えると、現在の動作は未来を作っているというより、
すでにある到達点に向かって、遅れて流れ込んでいくものになる。

未来が先にあり、現在がそれに付いていく。
そんな時間の使われ方だ。

この状態では、
「どう動こうか」
「うまくやろう」
「失敗しないように」
といった判断が入りにくい。

なぜなら、判断する前に、すでに流れの中に入ってしまっているからだ。

結果として、力みが減り、修正が減り、途中で何かを足すことがなくなる。
身体は「何かをする」というより、「起きていることをなぞっている」ような動きになる。

この考えを拡張すると、
目標や成功に対して行動が変わる、という言い方もできるかもしれない。

努力量が増えるとか、気合が入る、という話ではない。
そもそも選ぶ行動、立つ位置、手を出すタイミングが変わる。

結果を作りにいくのではなく、
結果を含んだ流れに入っていく。

もちろん、これが常にできるわけではないし、
狙ってやろうとすると途端に崩れる。

だからこれは、「使える技術」というよりも、
触れてしまった感覚を静かに観察していく対象なのだと思う。

武術で言われる「先の先」や、
スポーツで言われる「ゾーン」も、
たぶんこのあたりの構造に近いのではないか。

今はまだ断言できることは少ないけれど、
確かに「勝つ前に勝っている」としか言いようのない瞬間がある。

その正体を、もう少し身体で探っていきたいと思う。