後天的天才の構造:第1部
後天的天才の構造①
考えた瞬間に、なぜズレるのか
うまくやろうとした瞬間に、なぜかうまくいかなくなる。
そんな経験はないだろうか。
ダーツで狙いを定めたとき。
スポーツでフォームを意識したとき。
人前で、失敗しないように振る舞おうとしたとき。
直前までは悪くなかったのに、
「よし、ちゃんとやろう」と思った途端、
動きが少しだけ重くなる。
あるいは、ほんのわずかにズレる。
不思議なのは、あとから振り返ると
間違ったことは何もしていない点だ。
理論は合っている。
練習もしてきた。
努力もしている。
それなのに、結果だけが噛み合わない。
一方で、何も考えていなかったときに限って、
驚くほど自然にうまくいくことがある。
「今のは良かったな」
そう思って、次に同じことをやろうとした瞬間、
またズレる。
この繰り返しに、多くの人はこう考える。
才能がないのかもしれない。
集中力が足りないのかもしれない。
もっと努力が必要なのかもしれない。
でも、僕は少し違う可能性を考えている。
もしこの現象が、
個人の能力や根性の問題ではないとしたらどうだろう。
もし人間という生き物そのものが、
「うまくやろうとするほど、ズレやすい構造」
を持っているとしたら。
考えてみると、人間は不思議な存在だ。
わざわざ動きを分解し、
名前をつけ、
正解と不正解を決め、
それを頭の中で再生しながら動こうとする。
それ自体は、進化の過程で獲得した
とても優れた能力だ。
でも同時に、その能力が
「今起きていること」から
人を引き離してしまう場面がある。
このシリーズでは、
テクニックや根性論の話はしない。
代わりに、
- なぜ人は「考えてから動く」ようになったのか
- なぜそれが、パフォーマンスを邪魔することがあるのか
- それでも一流が生まれるのはなぜか
そんなことを、
人間の進化や世界の見方という少し引いた視点から、
一緒に整理していきたい。
才能の話をする前に。
努力の話をする前に。
まずは、
「人間はどういう生き物なのか」
そこから考えてみようと思う。
後天的天才の構造②
猫はなぜ、考えずにうまく動けるのか
猫の動きを見ていると、不思議な気持ちになることがある。
跳ぶ前に、特別な準備をしているようには見えない。
狙いを定めているようにも、力を溜めているようにも見えない。
それなのに、
「ここだ」という瞬間に、
迷いなく身体が出る。
失敗が少なく、
動きに無駄がなく、
どこか静かだ。
僕たちはつい、こう思ってしまう。
「猫は考えていないからだ」
「本能で動いているからだ」
でも、これは少し雑な見方かもしれない。
猫は、何も考えていないわけではない。
ただ、考え方が人間と違う。
猫は、
- これは何か
- どういう意味か
- 正しいか、間違っているか
といったことを、
頭の中で整理してから動いているわけではない。
代わりに、
- 空気の変化
- 距離の詰まり
- 音の質
- 相手の重心の揺れ
そういった変化そのものを受け取っている。
猫にとって世界は、
「意味の集合」ではなく、
「変化の連なり」だ。
だから、
見る → 判断する → 動く
という順番ではなく、
変化が起きる → もう動いている
という形になる。
ここで大事なのは、
猫が「今ここに集中している」という話ではない、という点だ。
集中しようとしているわけでも、
無心になろうとしているわけでもない。
そもそも、
今ここから離れていない。
人間はどうだろう。
人間は、動く前に
- これはこういう状況だ
- こう動くのが正しい
- 失敗しないようにしよう
と、世界を一度「整理」してから動こうとする。
この整理は、とても高度な能力だ。
道具を使い、言葉を操り、
文明を築いてきたのは、この力のおかげでもある。
ただ、その能力は同時に、
「今起きている変化」を
一度“過去の情報”にしてしまう。
考えた瞬間、
世界は「対象」になり、
自分は「操作する側」になる。
猫には、その段階がない。
猫は世界を操作しようとしない。
ただ、条件が揃ったときに、
動きが起きる。
ここで重要なのは、
猫の動きが「原始的だから優れている」
という話ではない。
人間が猫に戻る必要はない。
ただ、
人間は、区別しすぎる生き物になった
という事実を知ることは、
これから先の話を理解するうえで、
とても大切になる。
猫は、必要なときだけ区別し、
役目が終われば手放す。
人間は、一度区別すると、
それを握り続けてしまう。
この違いが、
「考えた瞬間にズレる」
という現象の、
かなり根っこの部分にある。
次回は、
人間がなぜここまで区別できる生き物になったのか。
そして、その進化が
どこでパフォーマンスと衝突し始めたのか。
「区別しすぎる生き物」になった人間の話を、
もう少し掘り下げてみたい。