先の先と、背後避け
漫画や武術書などでよく出てくる
「先の先」「先を取る」という言葉。
正直なところ、
それを言い出した本人たちはもうこの世にいないので、
厳密な意味での答え合わせはできません。
ただ、
言葉の定義は曖昧でも、 言わんとしている“感覚”はなんとなく分かる というところまでは来た気がしています。
今日は、その感覚についての稽古メモです。
■ 「打ってくる前に分かる」という感覚
合気道をやっている人や、
トップレベルのアスリート、
特に格闘技系の人であれば、
「打ってくる前に分かる」
という感覚を、
一度くらいは経験したことがあるのではないでしょうか。
試合や実戦では動きの連続の中で起きるので分かりにくいですが、
お互いが“ゼロ”の状態から動く
という条件を作ると、意外とこの感覚は掴みやすい。
■ 必要なのは「集中」ではなく「発話しないこと」
ここで必要なのは、
自分に集中することではありません。
むしろ逆で、
- 自己への集中をやめる
- 「今」にだけいる
- 脳内で言葉を発しない
こうした状態を作ることが前提になります。
相手が
0 → 1
と動こうとする瞬間に、
こちらも自然に動く。
このときの動きは、
「自分が動いた」というよりも、
相手に動かされた
という感覚に近い。
■ 疑わずに動くと、間に合う
この「ここだな」という感覚を疑わずに動くと、
相手の拳が出る前のタイミングで
すでにこちらが動いている、
ということが起きます。
少なくとも、
素人相手であれば実際に可能です。
■ 次の遊び:「見ずに避けられるか」
そこで次の段階として、
背後に立たれた状態で避けられるか
という遊び稽古もやってみました。
結果は、
3回中1回成功。
正直、まだまだです。
感覚そのものは正面のときと同じなのですが、
背後に立たれると、
どうしても変な緊張が入り、
途端にわけが分からなくなります。
この“余計な緊張”こそ、
今の詰めどころなのかもしれません。
■ 身体の境界は薄くなってきたが…
身体としての自己の境界が薄れていく感覚は、
だいぶ良くなってきました。
ただし、
- 思考
- 意思
- 「やろう」とする主体感
こうしたものを
随意的に薄める
というのは、まだまだ時間がかかりそうです。
身体は溶けても、
頭が最後まで残る。
そんな感じです。
■ これは「すごい」のか?という話
この手の話は、
一般的には「すごいこと」に見えるかもしれません。
でも正直なところ、
プロボクサーや第一線で戦っている選手に
「どうだ、すごいだろ」
とはとても言えません。
なぜなら、
これはあくまで
“ゼロからスタートする”遊び稽古
だからです。
■ 現実では、ゼロはほとんど存在しない
実戦では、
- フェイントがあり
- 動き回りがあり
- 間合いの変化があり
その中で相手の「それ」を感じなければなりません。
理論上は、
打つ前に抑えられれば手数はいらない、
とも言えます。
ただ、よく考えると、
- 間合いが遠ければ抑えられない
- 何度も察知して、抑えて
- 相手を自分の間合いに入れる必要がある
という現実があります。
さらに言えば、
先が分かる者同士であれば、 先を使ったフェイントだって理屈上は可能です。
……まあ、この先は
言わなくても想像がつくと思います。
■ ゼロイチの遊びは「入口」にすぎない
つまり、
ゼロ → イチでの先の先稽古は、入口でしかない。
ここから先には、
やることが山ほどあります。
ただ不思議なもので、
こうした“本質を一つ観る”体験ができると、
段階を一段ずつ登るというより、
転がり落ちるように理解が広がる
感覚があります。
「あれも、これも、
ここにつながっているな…」
という感じです。
■ 武術は下り坂、という話
これが、
「武術は下り坂だ」
と言われる理由なのかもしれません。
上へ上へ積み上げるのではなく、
余計なものが剥がれていき、
自然とできることが増えていく。
知らんけど。
でも、
今のところはそんな感覚で稽古しています。