自分の意思で、自分のタイミングで動けることはほとんどない
パンチを打つとき、人は拳を「出そう」としているように見えて、
実際には 目の前の相手の位置が、動く方向を決めてしまっている気がする。
ゴルフのスイングも、自分がボールに向かって行くようでいて、
実際には ボールがそこに存在すること自体が動きを誘発しているように思う。
球の位置、重力、地面の反力、風向き。
外の条件が先にあって、その流れの中で身体が後から沿っていく感じがある。
一方で、トレーニングでは「せーの」で自分の都合で動くことが多い。
この習慣が身につくと、
- 実際の場で素早く動きにくい
- 力を出すべき瞬間とうまく噛み合わない
- 相手や環境の変化に反応しづらい
というズレが起きやすいように思っている。
身体は本来、外部への反応でつくられてきたのではないか
人間の身体は、進化の過程で
重力や環境変化、外敵、他者の動作に対して反応しながら生き延びてきた。
だから僕は、
身体は“自分の意図で動かす”というより、 外側の刺激に“動かされるように動く状態”のほうが自然なのではないか? と感じている。
武術やスポーツで見られる洗練された動きほど、
自分の都合よりも「外に合わせて動く」ことが基本になっているように思う。
「使う」よりも「使わされる」ほうが力が通る気がする
ベンチプレスでも、
「胸で押そう」「腕に力を入れよう」と意図すると身体が固まりやすい。
それよりも、
重さに“使わされる”ように動くほうが力が通る
と、僕は感じている。
主語が“自分”のときは余計な力みが出て、
主語が“外”のときは身体が素直に反応する。
これは自分の身体感覚としてかなり大きい差になっている。
自分のタイミングで動くと、どうしてもズレが生まれる
自分の意図で動こうとすると、
視線が先に走り、肩が上がり、動作の精度が濁ることが多い。
例えば相手の肩に触れようとすると、
こちらの意図が伝わって避けられる。
しかし、
相手の肩に“吸い込まれるように”手を伸ばすと触れやすい。
これは「自分で動かす」というより、
身体が“動くべき方向に勝手に沿っていく” 感覚に近い。
相手が避けても、
移動した“新しい位置”に自然に流されるようについていける。
この状態は、僕にとって無駄のない身体操作の核心に近いものだと感じている。
意識するのは部分ではなく、“全体の中心”
最近は、身体のどこかだけを意識するのではなく、
環境も含めた “中心” を感じながら動くようにしている。
重力、床、相手の気配、道具の重心、空間の圧。
それらが合わさったところに中心が生まれ、
その中心が変化すると、身体が自然に動き出すイメージ。
僕にとっては、この方が動きがスムーズで力みが減る。
スイングの構造:軸は意図では決められない気がする
ゴルフのスイングの場合、右打ちなら
左手は右足方向へ向かう自然な螺旋構造を持っている。
軸を回転させるときは、
軸の右下から左末端までを “まとめて巻き込む” ように動いていく
という感覚がある。
興味深いのは、スイングの形を決めているのは
意図よりも、
- 身体の構造
- 立ち位置
- 重心の高さ
- 地面反力
- ボールの位置
- 状態の配置
といった 環境との相互作用 の方が圧倒的に大きいということ。
軸が右足寄りなら右寄りの動きになるし、
真ん中なら真ん中の動きになり、
左に寄れば左へと導かれる。
つまり形そのものは意図ではコントロールできず、
コントロールできるのは “環境と中心の配置” の方ではないか
と感じている。
まとめ:自分のタイミングで動けると思った瞬間に、身体は止まる
身体は「自分が動かすもの」というより、
外の流れに“動かされながら動く”ほうが自然で無駄がない
と、個人的には考えている。
そのほうが速く、強く、美しく、そして楽でもある。