逆末端という発想

研究記録:逆末端という発想

私が目指している動きの一つに、「目的とする動作に身体のあらゆる要素が参加する」というものがあります。言葉にすると毎回少しずつ表現は変わるのですが、根底にあるのは「パンチやスイング、ピッチングといった動作に関わる筋肉や要素を、できるだけ多く巻き込みたい」という意図です。

通常、手を前に出すという行為であっても、実際には足や腰、反対側の腕などは“手を出す”というベクトルには直接参加していません。バランスを取るために働いていたり、ただ脱力しているにすぎなかったりするのです。私はこれらの部位もすべて「手を出す」という方向性に関与させたいと考えています。右手を出すとき、左手が自然に引けたとしても、その引きは単なる引きではなく、右前方へと力の流れを作り出す一部となる――そうした全体性を目指しているのです。


逆末端という考え方の芽生え

武道の世界では「引手」や「腰の働き」が重視されます。私はそこから原理だけを抜き出して整理してみようと試みました。

たとえば「腕を使わずに剣を振る」というのは、単に鞭のように腕をしならせることではありません。腰や足の動きが連鎖的に腕や剣に伝わり、結果として剣が振られるのです。

このときの感覚を掴むヒントとして、「目の前に急に引力が発生したときに、体が自然とそこへ引き込まれる」ようなイメージを持つとわかりやすいでしょう。右手からその引力につられて動くようにすると、他の要素も一緒にその方向へと動いていく。つまり、手だけではなく全身が“引き寄せられる”。

ただし、このアプローチだと下半身が遅れたり、部分ごとにズレが生じることもあります。そこで思いついたのが「主要な部位から最も遠い場所を起点に働かせる」という発想――すなわち“逆末端”の考え方です。

たとえば右正拳突きであれば、逆末端は左手にあたります。居合であれば、剣と鞘の関係になります。これは私が以前から研究している「ひと拍子の動き」にもつながります。動きが体内でぶつかることなく、拍子の中で滑らかに繋がっていくと、等速的で淀みのない動作が生まれるのです。


ひと拍子と逆末端のつながり

ひと拍子の稽古では、末端から動きを起こし、それを連鎖的に全身へ広げていきます。たとえば「指を伸ばす」という小さな動作から始め、その間に手首が動き、肘が動き、肩が動き…と繋がっていきます。やがて足が地面を踏むまで連動が届けば、身体全体が一体化している状態といえるでしょう。

しかし、最終的には逆側の末端にまで影響が及ぶのですから、最初から逆末端からアプローチした方が効率的ではないか? そう考えるようになりました。

実際に試してみると、右正拳で左を逆末端として意識すると、動きが驚くほどすんなりと繋がります。サンドバッグへの打撃も、力が戻ることなく、身体全体が正拳へのベクトルに参加している感覚がありました。ここで重要なのは「ただ左手を引いて右手を出す」ということではありません。左手の感覚が右手を押している状態でなければならないのです。もし途中で右手が止められても、その影響は右肩や腕だけでなく、左手にまで波及している――それこそが「つながっている」という状態なのです。


居合と空間への拡張

居合の場合、剣と鞘はどちらも自分の末端となります。鞘を引くことは、同時に刀身を前へと押し出す力を生み出します。外見上は鞘を後ろへ引いていますが、感覚的には刀身を押し出しているのです。しかも、右手そのものは硬直せず、柔らかいまま働きます。もし相手に右手首をつかまれていたとしても、感知されにくい「ふわっとした」状態で剣が前へ出るのです。

さらに考えを進めると、「剣と鞘」の関係は自己の外側にも拡張できるのではないかと気づきました。空間そのもの、さらには相手の存在までもが“逆末端”として機能しうるのではないか。

具体的には「右の空間」と「左の空間」という認識を置き、左の空間が右を押し出す感覚を用いるのです。逆もまた然り、上下でも応用できます。

もちろん、空間を大きくとらえすぎると身体も大きく動きすぎてしまいます。ですから、あくまでも自分の手に纏う空間を通じて反対側の手に影響を与える、といったスケール感で行うのが現実的です。


仮説と今後の検証

この逆末端の発想は、従来の「収束」のように“ついていく”イメージとは異なり、中心が乱されにくいという利点があります。本来なら遅れがちな逆末端を、逆末端から意識的に動かすことで、遅れなく全体を動かすヒントになるのではないでしょうか。

最終的には「右も左もない」「末端という境界さえない」状態を目指しています。しかしそこに至るにはまだ時間がかかりそうです。しばらくは、この逆末端という視点を用いて稽古を深めていこうと思います。